檀れい の「武士の一分」
やっぱり、いいですね。
着物が実に良く似合います。
いい嫁を演じています。
こんな女に惚れないで、誰に惚れましょうか?
檀れいのいいところは
普通っぽいのに、全く普通ではない存在感。
自信なさそうさのに、輝いている姿。
木村拓哉の言葉遣いが気になりますが、
実に、いい時代劇です。映画館とはまた違った感じ。
真っ直ぐな気持ちが、痛いくらい伝わります。
テレビ朝日に感謝します。
サントリー「金麦トラックバック賞」を頂いたからには、
「金麦」(プレミアムモルツも)と檀れいは
応援します。
頂いたポスターは、しっかりと飾ってあります。
ひつこいですが、やっぱり、檀れい はいいですね。
ここで、最近驚いた事。
テレビを「ボケ〜」と観ていたら
美輪が自分を「菩薩のなんとか」と言っていました。
驚きました!美輪イコール菩薩なんですか!
般若心経では「観自在菩薩」と出てくるんですが
全てが「空」である事を学びます。
なのに、魂が見える事を語る・理屈づけたりする生きた菩薩が居る事に驚きました。私は、菩薩は寡黙であると信じていたんですが。
大横綱双葉山は、まだ「木鶏」にあらず、と言って、本物は軍鶏みたいにバタバタしない。まるで木製の鶏のように静かであり、沈黙が相手を押さえるとのこと。実は、この意味はもっと奥が深く、威嚇したり、強がったり、知ったかぶっている間は、何も出来ていない。人間的に完成したら、言葉や身なりは必要ないということ。ましてや、それらしい衣装も。
不幸な経験が、人を豊かにし何かを悟らすかのような話を持ち出しては、いけないと思う。本当の不幸は、しまっておく物だと思うし、口に出してしまっては、ただの語りであって、悟りではない。
魂が見えるという。でもそれを語る人の心が見えてしまう。
皆さんは「魂が見えるという人」の心が見えませんか?


