ここ数日、急行能登と寝台特急北陸が話題になっています。
昨夜がラストランということで。
金沢駅では、急行能登と寝台特急北陸が平行してホームに入るというから大騒ぎ。
テレビでもライブ映像を放映していました。
私自身思い出があるかといえば、ちょっとだけ。
就職して東京出張。出張費がどうのこうのと言うより
丸一日仕事で、飛行機に乗れず
寝台特急北陸で東京まで。
実はこの時、初めての寝台列車でした。
仕事場からそのまま明日の会議のために新宿(三省堂ビルだったと思う)へ。
それも、中学校の副教材の北信越会議。
堅苦しい一日になるのは必至。
で、寝ようと思ったのですが
線路のあの「ゴットン・・・ゴットン・・・」
という定期的なリズムが、体に合わず
珍しく眠れませんでした。
(戦争状態でも、お前は寝れる!と親から言われていたのが)
そのまま、浅い眠りのまま上野に。
そんな、朝の7時前に駅に着いて
どうするんだ!
と、勝手に怒ったのを覚えています。
それから、十年後
弘前まで寝台列車で。
この時は、学習していました。
前の晩は、あえて睡眠時間を短くし、
ビールをいつもより余計に持ち込み
いい塩梅でした。
私はさておき
地元、北国新聞に次の文が
元環境事務次官のMさん(70)=金沢市出身=は金大卒後、1962年に「北陸」で上京。
大宮駅付近で見た空はスモッグで曇り、北陸の空との違いに驚いた。
65年に金沢で結婚式を挙げ、東京へ帰る際には「能登」の前身の急行列車に乗ったという。
廃止を伝えるテレビニュースを妻愛子さん(66)と見た森さんは「混雑した車内の隅っこに2人で座っていた思い出が鮮明によみがえった」と語った。
音楽評論家のMさん(49)=金沢市出身=は大学受験のため友人と「北陸」に乗車した。
「『花の東京に行くんだな』という友人の言葉が印象的だった」と思い出を語った。
正月の帰省ももっぱら夜行列車で「からっと晴れた東京をたち、深夜にカーテンを開けると外は大雪だった。
北陸に帰ってきたなあという実感があった」と振り返った
いつも思うのですが、
何かが無くなる時、どうしてこうも
思い出が出てきて語れるのでしょうか?
人間というのは、未来だけでは生きられないように
出来ているのでしょうか。
そして、私が大学と故郷を行き帰りした特急電車も
北陸新幹線の開業とともに消えるのでしょう。


